2009年01月13日

モーツァルトの「不協和音」

ある本でモーツァルトの記述のところでハイドン・セットという言葉に出会った。
以下ハイドン・セット - Wikipediaより引用。
ハイドン・セット(ハイドン四重奏曲)は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作曲した弦楽四重奏曲である。6曲まとめてヨーゼフ・ハイドンに献呈されたので、「ハイドン・セット」または「ハイドン四重奏曲」と呼ばれる。モーツァルトが2年あまりを費やして作曲した力作であり、古今の弦楽四重奏曲の傑作として親しまれている。

そのうちの1曲、とても惹かれるものがある。
1785年に作曲されたハイドン・セット全6曲中最終曲の弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465『不協和音』。この曲の第一楽章の冒頭22小節は、極めて不穏で大胆な、和声効果を持つ序奏。第1ヴァイオリンのAは、ヴィオラのAsと「対斜」を成している、つまり禁則をおかしていることで有名である。モーツァルトや写譜職人の誤記として、一時期は加筆訂正するということまで行われたらしい。
以下江村哲二の日々創造的認知過程: モーツァルトの「対斜」より引用。
和声法や対位法などの作曲学を学ばれた方ならご存知であろうが,連結すべき2個の和音の構成音のうちに半音階的関係を成す2音が含まれる場合には,それらの2音を同一声部で処理しなければならないという規則があって,それに反することを「対斜」という。
古くからこの「禁則」はかなり厳しいものであって,モーツァルトのKV465の冒頭のこのAdgioは,作曲学的に明らかに「誤り」であるから,19世紀の一時期にはこれを加筆訂正するということまで行われた。


以下留魂録 (道楽日記): 2006年12月より引用。
しかし、現代に生きる我々にはそれは、さほど奇異に感じない音なのだ。ロマン派・現代音楽を経て、こういう音があるとわかっているからだ。しかしモーツァルトの生きた18世紀では理解されなかったであろうと想像する。ハイドンに献呈された中にこれがあるのは、ハイドンならこの斬新さがわかってくれると思ったのではないだろうか。さて、その不協和音部分はおいといて、それに続くアレグロの主題の快活さはなんだろう。いつもの秩序を取り戻した響きに満ちた音のシャワー。陽の光が燦々と降り注ぐ大地にいるのような気分にさせてくれる。形も色も距離も極めて明確な音楽とはこのことか。

当時聴いた人たちと、現代の私たちの間にあるギャップ、それは単なる曲・音への慣れなのだろうか。たしかに、今の私たちが聴くと、大きな違和感も感じないし、この後の明るい曲への流れも不自然ではない。(確かに緊張感が感じられるし、心惹かれる程度の違和感はあるけれども。)
このときのモーツァルト自身も、人々が理解しがたいのを承知の上でそれを選択したのか、モーツァルト自身はこの音をそこまで奇異に感じていなったのか、何を表現したくてこの不穏さと次の小節からのギャップを表現したのか、とても興味がある。
また、今違和感に感じても、それは未来にはそうでもなくなっていることがありえる。人の感覚は普遍ではなく、そして、それはたぶん人の一生と言う短い間でさえも変わるものなのだ、ということにわくわくした。

それにしても江村哲二さん、亡くなっていたのですね。
タグ:音楽

22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | Qwan-Note

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。